願わくば、自宅で平穏死がいいね

病院で亡くなる人が多い日本。それはあまり望まれない死に方では?

最近の気になった話。
日本は長寿国ではあるが、
100歳以上の半数以上は、寝たきり状態なのだそう。

どんな状態の寝たきりなのか、状態は様々。
病気やケガが原因で入院をきっかけにして、
行動や生活環境の変化から、筋力低下して、寝たきり。

また認知症を発症し、脳の機能低下だけではなく、
徐々に身体の筋力低下を起こして、誤嚥性肺炎を発症。
結局口から食べることを禁じられ、胃ろうを作って生命維持。
会話など人間らしい生活ができないが、
経管栄養剤によって生かされている人など。

現代は医学の目まぐるしい進歩により、
救命でき延命できるようになりました。

病気やケガで救急車を要請し、病院に搬送されれば、
医師をはじめ医療スタッフの力で救命処置がなされます。

病院は、救命や病気の治療をして、延命をするところ。
病院勤務のスタッフは、死を敗北と思っている人が多い。

私も病院勤務をしていた頃、
急変などで、亡くなった患者さんをたくさん看てきました。
患者さん・ご家族に対して、申し訳ない気持ちになったのを
思い出します。

「尊厳死」というより「平穏死」がフィットするかも

先日読んだ
在宅医の長尾和弘さん著書の「平穏死10の条件」より

平穏死とは、
老衰や認知症の終末期、あるいは末期がんや臓器不全症などによる旅立ち。

尊厳死とは、
交通事故など意識が戻らなくなった昏睡状態(遷延性意識障害)における延命中止など、
もう少し広い意味。
それは人間としての「尊厳」を保ちながら死を迎えたいという願いも含む。

平穏死とは、「平穏に最期を迎えること」
病院での最期では、平穏に死を迎えられないのです。

在宅で看取り・平穏死をすることにしていた患者さんが、
食べ物をのどに詰まらせたりすると、
慌てた家族が救急車を呼んでしまい、病院へ搬送。

結局、人工呼吸器や大量の点滴などの延命治療をすることになり、
一度始めた延命治療を中止するわけにはいかず、
患者さん・ご家族共にボロボロになってしまうのです。

病院へ救急搬送する手段を取ってしまうと、
静かに自宅で「平穏死」の最期を迎えることができないケースが多いのです。

回復の見込みのない状態での延命治療を望む人は少ないようです。
ですが、
その意思を家族などと共有している人は少ないと思います。

中高年の世代では、終活がブーム。
自分の死後の処遇や遺産相続などについて、
残された家族に向け、自分の意思まとめる方が増えました。

私は、自分の病歴や現在の内服薬、アレルギーの内容などと共に、
自分の身に命に関わる状態になった場合等の自分の意思を
書面にまとめておく必要性があると思っています。

それらは「医療面での終活」
死ぬ前のこともしっかり意思表示をするべきであると思います。

みんな「生きている」けど、それは「死に向かっている」こと

私は訪問看護ステーションに勤務していた頃、
多くのがん末期の方のお宅へ訪問に行きました。

多くの方が、手術や抗がん剤で治療をしてきた方。
でも末期と宣告されてしまい、死への不安・恐怖に直面。
主治医から在宅での療養を勧められ、
渋々在宅療養になったという人もいました。

在宅療養には、本人・ご家族もどうすれば良いか不安なのは当然。
その不安軽減が大きな私の役割でした。

医療的な処置の確認やケアなども重要なのですが、
安心して在宅で過ごせるよう、
とにかくコミュニケーションをどうするかが課題でした。

退院したばかりでは、本人・ご家族も落ち着かず余裕がない状態。
しかし在宅での療養生活に慣れてくると、
病院ではできない、自宅での楽しさを味わうことができます。

病院では、禁食で一切ものを飲食ができなかった人が、
ちょっとでも好きなものを食べるとか・・

食べることで、「生きている」醍醐味を感じていた人。
かわいがっている犬と一緒に過ごすこと。
残された時間を、それぞれ思い思いの過ごし方をされていました。

誰しも死の恐怖はある。でもその先には、穏やかな顔になる

がんの末期や老衰などは、病状が進んでくると、
自然に口から飲んだり食べることをしなくなり、
会話をすることも減り、眠っている時間が増えていきます。

本当に身体が枯れていくように、
徐々に終わりを迎える準備をしているのです。

呼吸をすることも、
身体全体を使って呼吸をするようになるので、
周りの家族の方などは苦しそうだと不安になりますが、
それも徐々に静かになっていくのです。

多くの人が心配している、痛みや苦しみがあるのかどうかですが、
痛みに関しては、往診医が適切な痛みに対する治療をすれば問題ない。

苦しみも死への恐怖など、精神的な不安からくるものもあるので、
完全には除去することは難しいものの、
病院という非日常の中で迎えるより、
ずっと穏やかなものであると私は思います。

訪問看護師として、何人かの在宅で看取りを行い、
グリーフケアとして、四十九日などに再度訪問し、
ご家族とお話をする機会がありました。

亡くなられたことは、本当に悲しいことなのですが、
本人もご家族も満足のいく最期を迎えられたと、
お話をされていた方が本当に多かった。

残された時間を自宅で過ごすこと。

それは、ご家族などの介護者の方にとっては、
簡単なことではありませんが、
貴重な時間である人生の最期を
ゆったりとした時間が過ごせます。

これは、病院では難しい。
在宅だからできることなのです。

私は病院と在宅と両方の看取りを経験し、
静かに枯れていくように亡くなる死を自分は迎えたいと思いました。

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