先日フジテレビのMr.サンデーを見ていたら、
「生きることは、口から食べること」という、ドキュメントをやっていました。

ムセる原因は、加齢や病気による口や舌、のどの筋力低下から

運動しないと筋肉が衰えてしまうのは、足腰だけではありません。
のどや舌など、飲み込む時には、ムセないようにするのに、
口から舌、声門などをタイミング良く動かしている筋肉も衰えます。

加齢とともに水や食べ物なども、ムセやすくなるのは、
この口や舌、のどの周囲の筋力低下が原因です。

患者さんと嚥下リハビリチームの努力の結果、口から食べることの復活へ

脳梗塞や消化器のがんで、1か月など口から食べられない状態だった患者さん。
リハビリ開始時、食べられないことが続いていた患者さんは、
表情もなくベッドに横たわっていました。

入院中に歯科医をはじめ、リハビリの理学療法士や言語療法士、
歯科衛生士や看護師などがチームとなり、患者さんに関わります。

リハビリチームが、レントゲン下の検査で
患者さんの飲み込みの時の、
のどの周囲の動きを確認します。
患者さんの飲み込む動作での問題点を明らかにし、
その解決策となるリハビリを行うのです。

毎日不安と地道なリハビリへの努力を重ねることにより、
3週間後には、形のある柔らかい食べ物を食べるまでに回復。
食べられる幸せと笑顔が見られるようになっていました。

食べることは、単に栄養を摂るだけではなく、
人間として生きるために、食べる楽しみは大事なこと。
どんなに美味しいものであっても、見た目も食感も香りも欠ければ、
食べる満足感にかけてしまいます。

飲み込みが悪くなると、食べ物を柔らかくすることが多いのですが、
それでも食べにくい状態であると、離乳食のようなペースト状という形に。
どのような食べ物なのかも、わかりにくい状態。

これでは、本当に食べる楽しみは、あまりありません。
とりあえず「食べることをしているだけ」です。

これでは、食べる楽しみはもちろん、
何のための食事なのかが、わからなくて当然です。

誤嚥(ごえん=ムセること)から、口から食べる・生きる楽しみを奪われる

「口から食べる幸せを守る」という本を、読んだばかり。
神奈川県のリハビリ病院の看護師からNPO法人を立ち上げた、小山珠美さんの本です。

未だ医療現場でも、口から食べて誤嚥(ごえん=ムセること)肺炎を起こすリスクを考えると、
医者は患者から口から食べることを禁止することが、通例となっています。

しかし小山さんは、口から食べる幸せを訴え、自らのムセない食べ方を研究し、
多くの患者さんを口から食べることを摂り戻すことを実践されたのです。

ひとりでは、なかなか成し遂げられなかった口から食べることへの挑戦。
少しずつ小山さんの意思に共感して、周りのスタッフも一緒に挑戦をしてくれたことで、
多くの患者さんの食べる幸せを取り戻せたその情熱に脱帽です。

先日のドキュメントでも言っていましたが、
このような取り組みをしている所が、まだまだ少数派。
医師の考え方が誤嚥(ムセること)は、リハビリで改善させるという意識がないのです。

病気にならないようにということを楯に、
患者さんから食べる幸せを奪って本当にいいのか??
もしかしたら、
これは患者さんの生きる権利を奪ってしまっているのではないかと
思ってしまいます。

胃ろうを作ると生きながらえることはできるけど、でもそれが幸せなのか?

誤嚥性肺炎で入院した高齢者に対して、
禁食状態の上、点滴などで肺炎治療をします。

肺炎が落ち着き、やっと食事が再開されても、
きちんと食事を食べられるようになるまで時間がかかります。

しかも、肺炎からの回復には、相当の体力・エネルギーを要します。
高齢で体力のない人、誤嚥性肺炎を繰り返している人ほど、
回復には時間がかかり、またすぐに誤嚥性肺炎を発症するのです。

だから医者は「胃ろうを作りましょう」と勧めます。
しかし、本当に胃ろうを作った方が良いのでしょうか?
ご本人・家族は戸惑うと思います。

胃ろうは元々、海外で病気などで食べられない子どもを対象に、
栄養の確保を目的にできました。

海外では、高齢者に胃ろうを作ることは、
ほとんどしないそうです。
だって、高齢者のために作ったものではないから。
老衰の高齢者には、
自然と食べなくなるのが普通という考え方だからです。

みんないつか最期を迎える時がやってくる

誰でもいつかは、死を迎えます。
高齢になれば、順番に亡くなっていく人が多いのは、自然な流れ。
諸外国は、そのような死生観を持っています。

しかし日本では、死は日常的にあるわけでもなく、別世界。
死を語ることは、タブーとされている風潮が強いと思います。

個人的には「延命治療をしたくない」と思っていても、
家族などが、救急車を呼び病院へ搬送してしまう。
患者を運ばれた病院は、救命治療をする使命があるので、
何としてでも復活をさせる努力をする。
病院の医療者は、死はあってならないものであり、負けなのだから。

しかし、何とか救命できたとしても、
呼吸のための管が入れられ、人工呼吸器につながれる。
意識ははっきりしない。
様々な生かすための点滴につながれ、
入れた水を出す尿管にもつながっている。

本当にこれが望む姿だったのだろうか?

一度つなげてしまった延命装置を外すことは、
家族にとって重いしツラいこと。
医療者にとっては、後々訴えられるリスクを考えれば、
絶対にしたくない。

結局、ずるずると本当に命の灯が消えるまで、
医療処置をする日々が流れていくしかない。
本人・家族にとって本当にそれで良かったのだろうか、
後悔するケースも珍しくないような気がします。

みなさん、自分がずるずると延命処置で生かされる状態になったら、
どう思うでしょうか?
今後の自分の生きかたを考えてみませんか?

自分の意思をまとめておき、家族にきちんと意思を伝えることをしておけば、
後悔はしなくても済むかもしれませんよ。